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last up date 2023.4.14

このページはoffice Perky patのprivateな部屋です。

顔写真

perky pat presents
公演情報


 ・円頓寺 Les Piliers & バー・パプリカ

 ・cinema de psychology
  かつて書いていた
  新作映画のブログ。
  心理学のトピックスを
  交えてお送りします。
  是非ご覧ください。


 ・『楽』する生活
  ほとんど更新されていない
  個人ブログ。
  復活の日はあるのか?


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吹上『新世界』スタヂオ記念館

bar Priscilla記念館
 2005.5.24-2014.1.8

bar Perky pat記念館
 1990.4.4-2005.3.26
略歴

1962年生まれ。
高校に入学した時、映画研究部が出来るというものだから、そこに入部し8o映画を撮り始める。
大学に入った時は、SF研究会が出来るというものだから、その設立に参加。 8o映画を作ったり、同人誌を作ったり、そんな日々を過ごす。
その大学生活も終わりに近づいた頃、SF研究会の有志で劇団「パンダうさぎ」を旗揚げすることになる。名前はかわいいが、その劇団名の由来は、薔薇族映画に登場した原っぱを彷徨う意味不明のうさぎから取っている。
当人には、もともと就職という考えがなかったので、これ幸いと演劇の世界に入っていく。
大学卒業後、東京で数ヶ月居候生活をしながら芝居を見続ける。 その後、「MOVE」を設立し、名古屋で小演劇活動に入る。
1988年、それまで休止していた映画館「今池アカデミー」で芝居を打つ。
この時の活動がイベント会社の目に留まり、1989年、名古屋で行われた「世界デザイン博覧会」でパフォーマンスをすることになる(ユニーパビリオン「びっクジラ」にて、135日間を通じて400余ステージ)。
この時溜まったギャラを元手に、1990年にbar Perky patをオープン。
つまり、bar Perky patは、「バブルの産物」といえる(当時、MOVEのメンバーはデ博成金と呼ばれた)。
店を始めると、これがなかなか楽しい。
しかし、その反面、時間が拘束されるので芝居が出来なくなる。
そこで、昔から興味があった写真を撮り始める。
ただこれは結構金がかかる。その上、現像が面倒くさくなり、うやむやに…。
そんな折り、新聞広告で大学院開設の広告を見つける。
何を思ったのか受験。合格する。
その後、夜は店、昼は心理学という二足の草鞋生活を送る。
2002年から大学で非常勤講師を始める(2022年度まで)。
2005年、15年間やってきた店を閉めて、新たな生活へと踏み出し演劇活動を再開する。
2013年から、知人の紹介で借りた長屋を改装して吹上『新世界』スタヂオを開設(2019年まで)。
並行して2014年4月から再びバーを始める。
そして、現在は那古野にある築百年か!?と言われる長屋にアトリエとして円頓寺Les Piliers(えんどうじレピリエ)を開設、入口のところに5席しかないバー・パプリカを併設。
いやはや、この先どうなるのか?
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